2016年06月01日

121:(木)体術 稽古記録16/05/26


 基礎鍛錬月間終了。

 <基礎鍛錬>
 ・揺身歩(4種)
 ・下肢鍛錬(2種)←!
 ・膝ヌキ
 ・上体脱力
 ・膝ヌキからの小太刀歩法
 ・背スジの軸立て、重心降下
 ・勁のこと

 <目録技:護身>
 ・小背負い肘折
 ・卓
 ・京門打ち

 <〆:クールダウン>
 ・養気呼吸法

「←!」マークの鍛錬でビールが美味い!
 遅れて参加のSさんが美味しくビールをいただけるよう協力しよう、ということで稽古終了後にもうひと汗。「あ、キッツ〜(笑」などと言いながら同じ鍛錬に皆もう一回お付き合いくださいました。
 お疲れ様です。この稽古は来月からの蹴りに生きますので。

 道場の近所にある飲み屋さんが今月一杯で閉店のため、これを惜しみつつ、鍛錬月間の打ち上げを兼ねて一杯くみかわしました。
posted by 秋山勇浩 at 20:42| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

120:コンパクト・トレーニンググッズ(2)一部修正


 過日紹介しましたコンパクト・トレーニンググッズの製法に一部訂正があります。
 新聞紙など広げた上で切ったものを、入浴時、身体のついでにボディソープで坊カビ剤を洗い流すのが一番手っ取り早いですね。

 久しぶりの製作だったので忘れておりました。
posted by 秋山勇浩 at 23:43| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

119:5月の稽古(握力×体重×スピード…ではなくて)


5月の平日(火)小太刀、(木)体術は、「効く身体、壊れにくい身体、円滑に動く身体」をテーマに、武道的な意味での身体づくり、身体の「仕組み」づくりを行ってきました。


〜5月の稽古内容〜

□ 基礎鍛錬
・揺身歩(4種)
・ぶつかり稽古などの下肢鍛練
・脱力1(下肢・膝のヌキ)
・脱力2(上体)
・肩甲骨剥がし(2種)
・芯の通し、重心降下

□ 効きの確認
・ミット突き

□ 目録技
・各回2〜3種


 肩甲骨剥がしなどの「効きの要素」、相撲のぶつかり稽古などから得られる「足腰の粘り」――いずれも効果的に技を働かせるために重要で、あるとなしとでは大違いです。
「脱力のメソッド」は斬りや素手の体術に生きる膝のヌキ方にもなれば、衝撃を分散吸収することでケガの防止にも役立ちます。何より、途切れずに動けるやわらかさしなやかさは、攻めにも受けにも必須の条件です。
 そして、ただ脱力しただけでは技になりませんので、「姿勢の取り方」として芯を通すことや重心降下も紹介してまいりました。
 これらは日子流の技法というよりも、その前段階としての身体操作の基礎です。
 日子流の個別技法がアプリやソフト、日子流の理念や原則がOSだとすれば、人体の性能はハードウェアに相当するでしょう。
 OSは好みや価値観、仕事の用途によってWindows系やLinax系などさまざまで、私はそういう意味で日子流を選び、そして愛しております。同様に、「OS:日子流」を選んだ稽古仲間がいるわけですが、どのようなOSであれ、それなりに優れた機体に搭載した方がよいに決まっており、5月の稽古は、言い換えるならばこのハードウェアのメンテナンス&性能アップにあたる部分でした。
 ここで「優れた機体」の意味するところが、必ずしもナマの筋力やスピードとイコールとは限らないのが、人体という複雑なシステムの面白いところです。(※1)
 鍛練的要素は当然ありながらも、広い意味では養生法、健康法にも通じる部分のある内容だったと自己分析しております。

 結果として、全員、寸勁のマネゴトが出来るようになりました。
 胸にあてたキックミットで受けても、後方に1〜2メートルほど飛ばされ、むち打ち状の衝撃が首に来ます。(比較実験として全力でストレートを打ち込んでもそうはなりません。)
 だからといって闘いの機微とは別次元の技術で、たとえばこれでスパーリングが圧倒的に有利になるということでは全くありません。健全な自分でいるためには、そういう幻想とは離れた立ち位置を保つことが大切なのではないかと考えております。
 言ってみれば武道的な「宴会芸」みたいなもので、こういうものに囚われると、ろくなことがありません。

 ならばなぜ稽古でそんなものを?…といえば、「無駄な力が抜けた状態への信頼感」を得て欲しかった、というのが理由です。
 何となれば、いくら力の抜き方を紹介したところで、「抜き方は分かりました。でも不安です」では話にならないからです。
 そのような心持ちでは、技がかかりづらいと感じた途端、四肢のコースやコツのことなどたちまち頭から吹っ飛んで、力いっぱいコメカミに血管を浮かせることになってしまいます(※2)。
 そうした不安を払拭するには、無駄な力を抜いたその状態がきわめて有益なものであるということを実際に体感するのが一番なのではないだろうか、という観点から紹介してみたというわけです。

 ですので、「勁」がどうこういうのは修得の対象ではなく、あくまで確認を兼ねた遊びという位置づけです。

 力を抜かせたいならば、「抜け」と口で言うほど無意味なことはなく、さりとて「抜き方を教える」だけでも充分とは言えず、力を抜くことの「インセンティブ」が必要なのではないでしょうか。

 何より、男の子はこういうのが楽しいですからね。

 繰り返しますが「勁」のマネゴト自体に、制敵技法的な意味での価値はありません。
 ここを勘違いすると、気持ち悪いマニアックな袋小路にハマる危険性がありますので注意が必要です。
 にもかかわらず、こういうもので得意げに講習会など行う人がいるようですが、欲しがる人がいる以上はそれも仕方のないことなのでしょうね……。
 ま、人それぞれですな。


 来月からは「日子流としての」身ごなしの基礎と、基本の打撃を中心とした稽古に移る予定です。
 頑張りましょう。



※1…筋力が邪魔だったり無意味だったりするということではありません。


※2…それがいけないというわけではありません。
(いつかそんな日があるのかどうかはさておき)本当に闘うとなれば、中途半端な技だろうと、「もとい」と言ってやり直すわけにはまいりませんから、何が何でも倒すまで必死の念で臨むべきでしょう。
 しかし技術の修得段階においては、そういう思い込みがときに上達の邪魔になるのもまた事実です。
 だからでしょう。
 先生は「稽古と実戦は別」とおっしゃいます。
 そしてどちらかが上でもう一方が無価値というわけではありません。闘いは負けたら終わりですが、稽古は失敗から学んで成長の糧に出来るのですから、やはり尊いものだと思います。
posted by 秋山勇浩 at 14:43| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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