2017年04月10日

145:無念…


 演武でトチってしまいました。試斬の切り上げで。

 去る17/30/25(土)、中野サンプラザで日子流の新刊DVD『日子流小太刀 〜抜き打ち〜』の記念パーティが催され、演武を行いました。
 その冒頭でのことです。

 さかのぼること3年前、DVD『白刃捕り』の記念パーティでは私はまだ小太刀の真剣を用意しておらず、他の稽古生が袈裟を披露していたのですが、その帰り際、青木宏之先生が手刀をさまざまな角度に翻しながら
「こうズバズバズバッとやってみせてくれると思ってたんだがな〜(笑)」とおっしゃっていまして。

 以前チラッと触れましたが、大刀に比べ小太刀の試斬は少々むずかしいところがあります。(近いうちに詳しく述べようと思います。)
 一方で、「難しい」とはいうものの、それを理解していただくには体感するのが一番で、したがって演武会場のほとんどのお客様には難しさなどまったくピンとこないことでしょう。

 ちなみに難しいとは言っても、私は、最初に乾燥したままの巻き藁に叩きつけたときを除けば、小太刀であっても袈裟の試斬などしくじったことは一度もありません。
 そして大刀ならば六方斬りくらいは出来ます。が、小太刀では難儀する角度がいくつかあります。
 そのうちのあるものは無理をすれば斬れないことはないものの、スキを排した小太刀「本来の」操法からは外れてしまい、またあるものは本来の操法から外れた斬り方をしてもなお切れません。
 それらの角度は、本来の操法だと巻き藁を両断することに無理があり、それ以前にそもそも用途が違う、と田中光四郎先生からもうかがっていますし、青木先生もそういうことはもちろん承知の上でおっしゃっていたのでしょう。

 しかし、こういうときの青木先生の言葉はだいたい、表面的な言葉通りの意味合いの他に複数の意味が同時に込められていることを、私は経験上思い知らされています。

 簡単にいえば「こういう演武のときなどは、多少理合いから外れてでも、素人向けのわかりやすい凄さの表現も必要だぞ」ということではないかと。
 私も、稽古は自分のためのもの、演武は観客のためのもの、と考えています。(奉納演武は、さらに別ですが。)
 理合いにこだわるあまり人の目線を顧慮したくないのならば、演武などせず道場にこもっていればよいのです。
 だから演武において多少のウソは、むしろ必要なものだとさえ思います。
 もちろん一方で、稽古で理から外れたウソを繰り返すのは意味がありませんし、それでは永遠にモノの役に立ちません。

 さらにもうひとつ込められていたような気がしますが、たぶん私へのやんわりとした個人的なアレなので、ここでは割愛。

 そういったわけで、今回は「ズバズバズバッ」としたやつを演じてやろうと思ったのですが…。

 左右袈裟のあとの斬り上げでですね…、巻き藁が芯棒から抜けてスポーンと。
 そのあと手でガスッと突き立て直したのをちゃんと斬り上げで両断はしたのですがね…。

 あ〜あ…みっともね〜な〜。凹むな〜。
 あんなこと滅多に起きないのにな〜。稽古では「ズバズバズバッ」だったのにな〜。

 
 …………でも、本番で出たものだけが「実力」なんですよね。
 至りませんで。精進します。


※…だいたいこの種のパーティは赤字になるのが常で、少ない交友関係の中から「輪の会」代表Z氏に同会の若手2名、新体道代表I氏に参加をお願いしてみました。I氏はさらに新体道の稽古仲間Mさんにも声をかけてくれたようで。
 ただただ感謝々々です。
 皆様、参加ありがとうございました!
posted by 秋山勇浩 at 01:50| Comment(0) | 日記・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。