2016年10月12日

137:話は変わってクラヴマガ体験


 …に、行ってまいりました。

 日子流は、流派立ち上げの初期においてクラヴマガの創設メンバーにたいへんお世話になったと、宗師の田中光四郎先生が、繰り返しおっしゃっていました。

 しかし、その方々が日子流の稽古においでになっていた時期と私が入門した時期とはギリギリかぶっていないようで、知識として耳にしたことがあるに過ぎません。
 ちなみにそのクラヴマガがどういうものか、私はまったく知らずにこれまで参りました。

「恩人の流儀がどういうものか、見たことも聞いたこともありません。想像もつきません」では、あまりに失礼に過ぎると常々思っていたところ、ちょうど最近クラヴマガのトレーナーの方とご縁が出来たため体験レッスンに参加させていただいた次第。
 
 体験というのは、本来入会も視野に検討の材料とするために行なうもので、私のようなのは理由としてかえって失礼にあたりそうなものですが、当日のインストラクターの方にはレッスン内容的にもかなりサービスしていただいたようで、恐縮の至りです。
 またその人気は、レベルに応じた細やかなクラス分けが出来るだけの会員数を擁するほどで、これには驚かされました。それだけ人々が求めているものをキチンと提供しているということなのでしょう。

 学ぶに値する流儀の基準をつらつらと挙げてみますに…

・技が優れていること。
(これは大前提のはずなのですが、一般論として意外とそうでもない流儀も、実はけっこう存在します。たいへん失礼なこととは存じますが、これは間違いのないところです。)

・次に、技の要点が合理的に整理されていること。
(説明になっていない説明をされる指導者もまた、少なくありません。残念なことです。)

・そして、その要点を修得するためのステップが用意されていること。
(自分で考えろ、という声が聞こえなくもないですが、稽古生の工夫は当然のこととして、だからといって教える側が工夫を怠ってよいわけではありません。)

・さらにそれを限られた時間内に教伝するための、稽古の「組み立て」のメソッドが確立されていること。

 ──などがありますが、クラヴマガはこの最後の部分に、とくに目を見張るものがあったように感じました。
 1時間という制限のなかにあれだけのことを詰め込むのか。なるほどなー。

 レッスン前もレッスン後も、あれこれお話の相手をしていただきありがとうございました。本当に充実した時間でした。

 …いけね。あんなに話して、「これからも何か機会がありましたら」とかお互い何度も言ってんのに、日子流の名刺渡すの忘れてた。

 ダメだなー。
posted by 秋山勇浩 at 00:09| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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