2016年07月10日

127:組手と信頼関係


 月間テーマを少々修正。

・5月…「効く身体、壊れにくい身体、円滑に動く身体」 ←【済】
 (武道的な意味での身体づくり、身体の「仕組み」づくり)

・6月…「準備体操、基本の攻撃と足運び」 ←【済】
 (日子流の身ごなしT)

・7月…「サバキT:打撃とサバキ/短刀とサバキ/小太刀とサバキ」 ← Now!
 (日子流の身ごなしU)

・8月…「サバキU:サバキの最適化・最小化」
 (交叉法など)

 …8月分を考えているうちに7月の内容が変わってきました。
 これまでも述べてきましたように(※1)日子流のサバキは「前に出ること」に尽きるのですが、技としてはテクニカルな色合いの濃いものからおそろしくシンプルに踏み込むものまでさまざまです。

 通常ならば単純な基本動作から複雑な応用動作へと進むところですが、要点やら書きとめたメモを眺めるまでもなく、経験した印象からして、どう考えても逆のつくりをしています。
 単純な動作の技法群は、シンプルすぎて修得が困難なのです。
 覚えるのは容易です。なにしろ手順が簡単ですから。しかし、実用レベルでの体現となると非常に困難な ── 決して空論だったり理論倒れということではありません。充分に実現可能なように見えるのですが ── 要は「怖い」という壁があります。
 リスクを最小にするにはそれが一番だと頭では分かっても、それでも本能が邪魔をしてなかなかその通りには動けないような動作が少なからず存在しています。

 また打つ方も打つ方で、「大丈夫かなコイツ」と思うと、顔面をスコーンと殴るのは気が引けてしまうものです。相手の技術向上のためには正確な打撃が必須だと分かっていても、敵でもない稽古仲間の顔面に青タンこさえたりしたくないのは、まともな人間ならば誰しも当然の心情でしょう。かといって、それであさっての方向を打っていたのでは稽古になりません。
 技術修得のためには一定水準以上の正確な打撃が必要で、しかし一定水準以上の技術を修得していな相手には、そういう打撃は放ちにくい……「卵が先かニワトリが先か」で悩ましいところです。
 
 つまりは信頼関係なのでしょう。
 
 お互いの技術が信頼に足る水準を持ち、安心してぶつけにゆくなかで互いを高め合うことの出来るような関係を築くのが、ひとつの理想であるように思われます。
 それには稽古しかありません。

 日子流には試合がありません。
 また今日的には、ごく限られた正当防衛のケースを除けば街中での実戦など許されません。(※2)
 試合のない流派は、ふた言めには「危険すぎて試合が出来ない」と口にします。そういう一面がないとは決して言い切れませんが、蓋を開けてみたら馴れ合いの稽古で無駄な時間を過ごしているだけ…ということはないでしょうか。これは上述の「信頼関係」とはおよそ対極に位置するもので、よくよく自戒すべきことだと思います。

 入門のきっかけも興味も、目指すべきところも人それぞれでしょう。
 しかし、縁あって稽古場を共有する者同士、無駄な時間だけは過ごしたくないものです。
 そして稽古を通じ技量を磨くなかで充分な信頼関係が築けたなら、非常に喜ばしいことだと考えております。
 
 話は戻りますが、今回の技法群においては、テクニカルな動作で身体の運びに慣れた上で、その精度を上げつつ、徐々に動作を省いてゆくのがよろしいでしょう。
 そんなこんなで7月、8月の構成でした。

※1…日子流の特徴的な動作については「日子流って?(1)〜(5)」 をご参照下さい。(リンク先は(1)です。)

※2…海外はまた話が別で、許されるかどうかというよりも切実に必要とされる地域は、私たちの想像以上に少なくありません。あるいは近い将来、日本の事情が変わることもあり得なくはないでしょう。


posted by 秋山勇浩 at 23:45| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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