2017年05月10日

149:小太刀の特徴と面白味(2)


途中に別件を挟みましたが、(1)の回で、「身の近くで使う」という小太刀操法の原則に触れました。

具体的には腕を伸ばさず肘を胴の近くで用いることになります。
たとえば上段からの真向切り下ろしであれば、たいていの人がまず肘を伸ばして腕全体で円弧を描くようにするところ、(日子流の)小太刀は肘から落とすように始動し、手刀で眼前の壁を撫で斬るかのように真下に振り下ろします。もちろん切っ先は楕円軌道に近い円弧を描くのですが、腕の動きは(体感的には)ほぼ直下に向かいます。
肩から腕が生えているというよりも、胴から前腕が生えているような感覚に近いかもしれません。
そうしますと、おのずとストロークが短くなるわけですが、ではどこでその分を補うかというと、膝です。

手掛け手首折り、という技があります。
手掛け手首折り_R.jpg
(壮神社刊『日子流体術 目録技解説』より)

上段突きに対する技で、合気道で言えば小手返しに似ていますが、身体の使い方や効かせ方は全く異なります。
初心者はこれを腕でなんとかしようとし、または手首をネジって効かせようとし、最後にはお辞儀のように上体をおっかぶせて倒そうとしますが、正解は膝です。膝を抜くことで腰を落とし重さを伝えるのです。(※)
そしてその際、肘は胴体に近い方が伝達のロスが少なくて済みます。

小太刀の袈裟は、この技の身体の使い方と似ています。(足は左右逆になりますが)
切っ先のトップスピードを上げるよりも、身体と一体化させるように用いることで刀の重さそのものを増加させるという方法論を、日子流では選択しており、したがって小太刀の袈裟が斬れれば体術の効きも目に見えて向上する道理です。
大刀のように身から離しても斬れるものでは得がたい感覚で、斬りにくいからこそ体術との親和性がきわめて高いという点が、小太刀の面白味・ありがたみの一つではないかと、私は感じています

さらに自分で持てば取り回しがよく、逆に仮想敵としても、日常起こりうる理不尽な暴力の際に想定される凶器はだいたいこのくらいの長さだろうということなど、他の利点も多々あります。
しかし、そういう実際的な利点もさることながら、やはり、ここで述べたような理合いの共通項の方が、私には大切なことのように思われます。こうしたことに興味を持ってくれる仲間が増えてくれたなら、非常に喜ばしいことです。


※膝を…
…というと、最初はだいたいの人がハーフスクワットのような曲げ伸ばしを行いますが、これもあまり効きません。
曲げ伸ばしではなく抜けばよいのですが、「抜け」と言われて抜けるくらいなら苦労はないわけで、そんな助言は、効かせ方をたずねられて「効かせろ」と答えるくらいに無価値で無責任なものです。

「抜けるようになる方法論」について、実際のメソッドや、それを出す出さないの判断は流派ごとに様々でしょうからそこは省きますが、指導の立場にある者は最低限、引き出しを用意しておくくらいの義務はあるでしょう。

posted by 秋山勇浩 at 23:34| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

148:黒岩洋志雄先生を偲ぶ会(2)〜教えの一端〜


昨年は日子流のパリ演武と日程まるかぶりだったため不義理をしてしまいましたが、今年は参加し、かつてお世話になった先生方や立教大学合気道会の皆様にご挨拶してまいりました。

10:00〜 東高円寺の本部道場にて日子流体術稽古(〜12:00)
13:00  西武池袋線 桜台駅集合
13:30〜 鍬守道場にて「輪の会」稽古(〜15:30)
16:30〜 お墓参り
17:15〜 懇親会
20:00(頃?)〜 二次会(〜終電)

――と、おはようからおやすみまでほぼ稽古&お酒の休日。
数年前から私よりも若い稽古仲間が痛風を発症しているのに加え、つい先週、また別のやはりまだ若い稽古仲間が尿路結石で悶絶したという話を聞いたばかりで、若干のおびえを胸にいだきつつの宴でした。
実際、ここでも同年代のNさんが痛風になったとからかわれてたり。

やな歳になったな〜。

さいわい健康診断では脂質代謝や肝機能を含め、今のところほぼ(※1)オールAを維持しておりますが、とはいえ油断は禁物ですね。
実際、ケガの治りとか目に見えて遅く…というかそろそろ治りきらなくもなってきてるような気がしないでもありません。地味にこわい。

はからずも辛気臭い健康の話題になってしまいましたが、歳相応に、まあまあこんなこともあります。
さて、肝心の稽古の終わりに黒岩洋志雄先生の高弟の先生から紹介された言葉で、心に響いた言葉がありましたので、備忘録を兼ねてひとつ紹介いたします。
たいへん大切なことであると思います。

「受けてよろこび、投げて感謝」

ずいぶん前にも、どこかで耳にしたことがあるような、ないような…おぼろげな記憶しかありませんが、確かその頃は「なんだその奴隷根性は?お遊戯のススメか」というのが正直な印象だったような気がします。「キレイごとですらない支離滅裂な言葉をありがたがって、バカじゃねぇのか」と。
実際に口には出さずとも、かつての私のそういう反応に共感を覚える方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

全く違う話でした。バカは私でした。
少々長くなりますが、こういうことのようです。よろしければお付き合いください。

先輩後輩で組んで技の反復練習をしているとしましょう。
後輩の技に対してポイントをずらして耐えることなど、先輩ならば出来て当たり前です。
しかし受けがそんなこらえ方ばかりしていると、相手は上達するどころか徐々におかしなクセが付き、進歩が遅れてしまいます。
人の上達の妨げになることが、先輩のあり方として正しいと言えるでしょうか?
技が思うように出来ないというのは、暗闇の中で手探りをしているようなもので、いわば八方塞がり、どちらにどう進んだらよいのか分らず気ばかり焦っている状態です。
そんなとき、30点の動きが40点になったところで崩れてあげれば、暗闇で向かうべき方角から呼び声があったような手応え・安心感を覚えるでしょう。
人を投げるのに最低限必要なレベルが50点以上だったとしたら、40点で転がるのはウソです。しかし、稽古ではこらえるのではなく転がってあげるのが上達の手助けになる瞬間というものがあります。
ここまでは、根性のねじ曲がったひとにぎりの人間以外ならば、たいていの先輩が、なんとなく無意識のうちにやっていることでしょう。
ここでさらに、40点が50点に近づくよう、自らの受けで正解のコースを相手の身体になぞらせてあげれば、それは手を取って夜道を導くのと同じことになります。これはきわめて有効な教伝法です。

黒岩先生は生前、
「(今は身体が悪くなって出来なくなってしまったけれど)昔は私が受けて(正しい)コースを作ってあげたから、そのころの人はあっというまに上達しましたねぇ…」とおっしゃっていました。
「導く」というのは、このように、受けがその身を以って取りの技術向上を促すことであり、間違っても、取りが受けを引きずり回すような、よく見られる「アレ」ではありません。(※2)

後輩が何とかして先輩を投げようと四苦八苦するのは大切なことです。一方、最初から優位な立場にある先輩が、後進との稽古に勝負の発想を持ち込むのは非常にみっともないことです。特に、組手でも乱取りでもない反復練習でそれをやることは、恥以外の何物でもありません(レベルの近い先輩後輩では必ずしもそうとは言い切れませんが…)
そんな薄っぺらい優越感を満たそうとするのではなく、一人でも多くの仲間が師の教えに近づけるよう微力を尽くすことこそが、弟子たる者の務めではないでしょうか……?

「受けてよろこび、投げて感謝」という言葉を、引きずり回されたあげくに転がされることを喜ぶような、奴隷根性の推奨や、見映えのする受けをとってくれてありがとうなどという八百長演武のねぎらいなどと捉えると、稽古はとたんに貧しくさもしいものになってしまいます。

受けを通した指導で相手を伸ばし、その成長を我がことのように喜び、だからこそ取りは、投げを行いながら相手に感謝の念をいだく ―― 同期やそれに近い先輩後輩の切磋琢磨とは違う、指導者のあるべき姿についての金言の一つではないでしょうか。

以前ここで紹介した「受身」のことと同様、視点を変え価値観を変え、取り組み方を変えねばならない重要な教えだったようです。
それが心に響いたというのは、私が多少なりとも正しく道を歩んでこれたことを意味しているのではないかと、終電で寝過ごして何駅か歩いて戻ったあげく、嬉しくてもう一杯あけてしまいました。

午前3時、無事帰着 ── そしてこんなこともあろうかと、翌月曜は午前休申請済。
一方、聞けば主催のZさんは1日休を申請済だったそうで、どうも道友というより類友のようですな。
ありがとうございます。おつかれさまでした。


※1…
唯一のBは心電図「洞性徐脈」ですが、20代の頃からずっとなので、たぶんスポーツ心臓なのだと思うことにしています。

※2…
あんなことは起こりえません。マンガではないのですから、鼻先にニンジンぶら下げられた馬のように付いてきて、あげく勝手に転がるなどという行動を、人が ――少なくとも敵は―― 選択することなど、ありえるワケがないのです。
もし意図的な八百長以外で起こることがあるとするならば、それは盲信に基づく自己暗示や、習慣によって染み付いた条件反射に他なりません。
仲間以外はそのいずれの条件も有してなどいない、という当たり前のことに気付くべきでしょう。

ちなみに、新体道でも似たようなことはしていますが、アレは全く別の話です。指導者は全員、そのへんをよく理解しているということを特に付記しておきます。



posted by 秋山勇浩 at 22:48| Comment(0) | 合気道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月14日

147:小太刀の特徴と面白味(1)


小太刀の特徴を簡潔にあらわすならば、外形的には「軽い、短い」ということになりましょうか。
そうすると棒状の物体としては取り回しがよい反面、刃物の機能としては必然的に「斬りにくい」ことになります。

簡単な思考実験をしてみましょう。
金属バットと玩具のプラスチックバット、両者が同じサイズのものだったとして、屈強な男が渾身の力で叩きつけた場合、どちらがダメージにつながるかは容易に想像がつくと思います。

 運動量=質量×速度
(『運動量と力積 わかりやすい高校物理の部屋』
 http://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/mech/unndouryou/unndouryou.html

 ――だそうですから、最終的に達した速度が同一なら重いものの方が大きな運動量を持っていることになります。
すると、金属バット(約900g)に比べれば無にも等しいプラスチックバットの質量(約130〜150g)だと、相当な速度に達していても威力は比較にすらなりません。実に6〜7倍の速度で振ってやっと同程度。そんな高速でなど振れるわけがありません。

小太刀と大刀の重量差はそこまでではないので、思いっきり速く振れば運動量の不利をカバーすることは出来そうな気がしますが、さらにもうひとつ、寸法という要素があります。

今度は同じ重量の――そうですね、5〜6sくらいのダンベルと、同程度の重さをした1メートルほどの金属の棒を想像してみてください。
棒の端を持ち、肘の曲げ伸ばしでもってダンベルと同じように上下に動かすことは非常に困難なはずです。
つまり長ものの端を持っていれば、先端部では勝手に下方に力が働いてくれるということを意味します。(※1)
事実、大刀の袈裟など巻き藁ならば「釣り竿をヒュンと放るように」軽く振るだけでサクサク斬れます。

刀が勝手に食い込み切り裂いてくれるようなもので、田中光四郎先生は冗談で「100人やったら120人が斬れますよ(笑)」とまで評しています。
切り上げは袈裟に比べれば多少難度は上がるものの、やはり大きな運動量が慣性となって対象に働いてくれるため、刃筋さえ立てれば巻き藁などはこれも比較的たやすく両断出来ます。

一方小太刀は、その軽さ短さからくる運動量の小ささ、すなわち慣性の小ささから、対象に当たったその瞬間から大きく減速してしまいます。(※2)
結果、刃物としての切れ味が同じだとしても途中で止まってしまいがちで「斬りにくい」ということになります。

ではどうするか、というのが小太刀の面白いところで、簡単に言えば「身の近くで使う」というのが一つの原則であり答えです。


※1…
実際には同じ材質ならば細長くするほど強度が下がるので、そのバランスの範囲内でかつ現実的な使い勝手も加味して成形する必要があります。

※2…
軽いバットがさらに短くなったのを想像していただければ理解は容易でしょう。当たった後に振り抜くことが出来ないか、あるいは非常に苦労する、ということです。

極論かつ私事で恐縮ですが、中学生の頃、自動車にはねられたことがあります。車の方は交叉点を曲がるため歩行者ほどの速度まで減速していたにも関わらず、自転車ごと2車線以上も吹っ飛ばされました。
充分な質量があれば低速であっても相当な威力があるという一例として紹介いたします。
posted by 秋山勇浩 at 23:57| Comment(0) | 剣術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする