2018年01月04日

151:謹賀新年 〜稽古会検討中〜


あけましておめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりました。

さて昨年まで本部の(火)(木)平日クラスを担当しておりましたが、より広範かつ容易に参加できるかたちをと考え、今年からは公共施設での稽古会を始めようかと考えております。
近日中に予定をアップ致しますので、ぜひお気軽にご検討・お問い合わせください。

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(鹿島神宮の初詣にて、新年の祈願とともに)

それでは本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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(鹿島→香取→成田山…と、強行軍の初詣の最後に買ったお神酒です)
posted by 秋山勇浩 at 18:58| Comment(0) | 日記・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

150:古巣のこと

 先々月10/8、新体道の50周年(※1)パーティがあり、先月11/19には出身大学である中央大学新体道棒術部の40周年記念演武&式典がありました。浪費の相当部分を占める酒代を中心にあれこれ節約し、満を持して両方参加。
 おめでとうございます!

 さらに今年は大学の文化祭演武も見学に参りました。
 単純に遠いのと、「この世代がしょっちゅう顔出すのも扱いにくそうでちょっとなぁ」というのとで、大学にはすっかり足が遠のいているのですが、節目の年ということもあり懐かしい母校へ。現役のころと同じ会場で繰り広げられる学生の演武に、やっぱり自分の青春は間違いなくそこにあったのだなと、しみじみとした感慨深さなどではなく、何か燃える想いが沸き立ってくるのを感じました。
 それぞれの式典では、古い知り合いと旧交を温め、現在進行形の学生や若いOBからの刺激を受け、ここでも稽古へのモチベーションがリフレッシュされました。
 中でも、「蹴りの佐藤(※2)」の異名をとった棒術部2代目監督の祝辞では「我々にバックミラーは要らない」というキメ台詞が飛び出し、稽古人の胸を打つその抜群の破壊力に会場がどよめきました。
 
 実行委員の皆様、おつかれさまでした。そして本当にありがとうございました。
 これからも、稽古に励んでまいりましょう。

 監督演武_R.jpg
 
 式典集合写真_R.jpg

※1…起算日がいろいろあり、正確には「50周年+α」なのだそうで。確か私が大学1年の終わりか2年の頃に25周年の式典をお手伝いしたように記憶しているので、まあだいたいそのくらいなのかなと。

※2…「棒術部なのに蹴り?」と思われるかもしれません。合気道でいう体術と剣術のように、棒術は空手とセットになっています。空手部で棒術を学ぶことはあまりないと思われますが、棒術部では「素手技」として稽古時間の半分近くを空手に割いており、2代目監督の佐藤先輩は蹴りのたいへんな名手でした。
 ちなみに現監督(写真上)は7代目。
posted by 秋山勇浩 at 02:36| Comment(0) | 日記・雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

149:小太刀の特徴と面白味(2)


途中に別件を挟みましたが、(1)の回で、「身の近くで使う」という小太刀操法の原則に触れました。

具体的には腕を伸ばさず肘を胴の近くで用いることになります。
たとえば上段からの真向切り下ろしであれば、たいていの人がまず肘を伸ばして腕全体で円弧を描くようにするところ、(日子流の)小太刀は肘から落とすように始動し、手刀で眼前の壁を撫で斬るかのように真下に振り下ろします。もちろん切っ先は楕円軌道に近い円弧を描くのですが、腕の動きは(体感的には)ほぼ直下に向かいます。
肩から腕が生えているというよりも、胴から前腕が生えているような感覚に近いかもしれません。
そうしますと、おのずとストロークが短くなるわけですが、ではどこでその分を補うかというと、膝です。

手掛け手首折り、という技があります。
手掛け手首折り_R.jpg
(壮神社刊『日子流体術 目録技解説』より)

上段突きに対する技で、合気道で言えば小手返しに似ていますが、身体の使い方や効かせ方は全く異なります。
初心者はこれを腕でなんとかしようとし、または手首をネジって効かせようとし、最後にはお辞儀のように上体をおっかぶせて倒そうとしますが、正解は膝です。膝を抜くことで腰を落とし重さを伝えるのです。(※)
そしてその際、肘は胴体に近い方が伝達のロスが少なくて済みます。

小太刀の袈裟は、この技の身体の使い方と似ています。(足は左右逆になりますが)
切っ先のトップスピードを上げるよりも、身体と一体化させるように用いることで刀の重さそのものを増加させるという方法論を、日子流では選択しており、したがって小太刀の袈裟が斬れれば体術の効きも目に見えて向上する道理です。
大刀のように身から離しても斬れるものでは得がたい感覚で、斬りにくいからこそ体術との親和性がきわめて高いという点が、小太刀の面白味・ありがたみの一つではないかと、私は感じています

さらに自分で持てば取り回しがよく、逆に仮想敵としても、日常起こりうる理不尽な暴力の際に想定される凶器はだいたいこのくらいの長さだろうということなど、他の利点も多々あります。
しかし、そういう実際的な利点もさることながら、やはり、ここで述べたような理合いの共通項の方が、私には大切なことのように思われます。こうしたことに興味を持ってくれる仲間が増えてくれたなら、非常に喜ばしいことです。


※膝を…
…というと、最初はだいたいの人がハーフスクワットのような曲げ伸ばしを行いますが、これもあまり効きません。
曲げ伸ばしではなく抜けばよいのですが、「抜け」と言われて抜けるくらいなら苦労はないわけで、そんな助言は、効かせ方をたずねられて「効かせろ」と答えるくらいに無価値で無責任なものです。

「抜けるようになる方法論」について、実際のメソッドや、それを出す出さないの判断は流派ごとに様々でしょうからそこは省きますが、指導の立場にある者は最低限、引き出しを用意しておくくらいの義務はあるでしょう。

posted by 秋山勇浩 at 23:34| Comment(0) | 稽古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする